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トレジャーハンターは日本の黒い霧の中にもいた? 阿波丸沈没事件! [国際情勢]


最近、欧米で中世の沈没船から金貨等の財宝が発見されたというニュースが度々飛び込んでくるのですが、天候により難破した船の財宝とは別に戦争中に財宝目当てに沈められた船舶も実は多々あることが判明しています。

2000人もの死者を出した日本の緑十字船『阿波丸』もその謎の船と言われているのです。





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◆普通のトレジャーハンターの話 (AFP様)

この夏、米フロリダ(Florida)州沖で活動するトレジャーハンターたちが、1715年のスペインの沈没船から、100万ドル(1億2000万円)以上の価値があるとみられる財宝を続けて発見した。

彼らにとっては実り多き季節となったようだが、海底に眠る沈没船の財宝を探し当てるには、通常長い道のりと意志の強さが必要になる。


流石欧米なのですが、この手のビジネスに『投資』しようとする人も多いそうで、その金を使って山師達が活動を開始しているわけです。

ですから発見したとしても・・・大半は投資者へ還元される宿命であり、全額が発見者に行くわけではないのです。




◆日本軍の物資輸送に関っていた組織


児玉機関という軍部が必要とする物資を調達を担当していたのが、児玉誉士夫氏達なのです。

物資には、麻薬・金・銀・プラチナ等、軍事兵器に使用されるものも含まれていたのです。

諸説ありますが、それはその専門の方々に犯せするとして、小生が一番疑に思うのは、
極東軍事裁判で、なぜA級戦犯でありながら、児玉誉士夫氏・笹川良一氏・岸信介氏の三名が起訴を逃れることができたのですか?・・・と言うことです。



極東.jpeg



彼らの背景を知れば・・・当然・・・GHQと何かの密約があったのではないかと勘ぐる次第なのです。


戦後の混乱の中・・・彼らの証言により、沈没船から巨額の財宝を搾取していたことは明白な史実なのです。(みんなで仲良くしよう・・・なんていう意味ではありませんよ。)

その資金で笹川氏が始めたのが・・・ボートレース・・・世界は一家皆兄弟・・・ユダヤのワンワールド思想を準拠した証拠のコマーシャルとなっていたのです。

その黒い霧のトレジャーハンター達が目を付けた一つがが『阿波丸沈没』事件なのです。




◆読売新聞社も取り上げていた阿波丸の財宝


【阿波丸にも金銀財宝が・・・?】
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2015-07-14-3

 
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月1日、午後11時、「緑十字船」
阿波丸が台湾海峡において、米国潜水艦クイーンフィッシュにより撃沈され
た。


阿波丸.jpg


この阿波丸はアメリカおよび連合国側の要請によって日本の占領下で捕虜お
よび抑留されている将兵や市民のため救援物資を運び届けるという特殊な任
務を帯びていたため、連合国側から往復路の航海絶対安全を保証されていた。


この撃沈は故意か、偶然か、この惨事は数多い謎を残し長い間真相が明らかに
されないままになっていた。

2千名余りの乗客乗員と9800トンもの貨物を満載した1万2千トン級の大型貨
客船「阿波丸」は、3月28日予定通りシンガポールを出港し、帰国途中の台湾
海峡においてこの惨事に遭った。

 
20数年この「阿波丸事件」という惨事の調査を続け、その調査結果を発表し、
この事件のナゾに迫ろうとした試みの貴重な記録が本書で、阿波丸撃沈より
28年経った昭和48年(1973年)5月、読売新聞社より刊行された。


1945年4月1日、阿波丸はいかなる事情の下に、いかにして沈められたのかと
いう肝心の点については、アメリカ側に残っている”阿波丸撃沈に関するアメリカ
潜水艦クイーンフィッシュのラフリン艦長の報告書”(4月1日阿波丸が撃沈され
た当日から、4月4日他の任務につくまでのまる4日間の行動が記されている)
が、まずそのまま引用されている。

この阿波丸には2千余名の乗客乗員が乗船していたが、生存者はたったの一
人で、アメリカ潜水艦クイーンフィッシュに救助された日本人生存者・下田勘
太郎氏(日本郵船の雇員、当時46歳)へのアメリカ側の尋問報告書も本書に
掲載されている。

 
ただ一人の生存者・下田勘太郎氏はほとんど阿波丸に関し沈黙し続け1
970年に亡くなっているが、下田氏が「文芸春秋」(昭和38年11月号)に
書き記した『阿波丸撃沈の生き証人』という貴重な記録から、いくつかの証
言を本書では検討している。

 

最終章では「放置されたままの遺族と阿波丸」と題し、未解決の遺族補償
問題(巻末には阿波丸犠牲者名や、阿波丸遺族会による日本政府への請
願文が全文原文のまま掲載されている)に言及すると共に、台湾海峡の海
底に長らく沈んだままの阿波丸が金銀財宝を積んでいたのではという情報
に触れている。本書が著された1973年の時点では阿波丸は海底に沈ん
だままであったが、その後、中国政府は1977年から極秘に引揚げ作業に
取り組み、1980年12月、1977年から続いた阿波丸のサルベージ作業を
ほぼ終えたと発表。中国は、1979年7月、80年1月、81年5月の3回にわた
って、遺骨368柱、遺品1683点を日本に返還している。

 

尚、『阿波丸はなぜ沈んだか』(松井覺進 著、1994年、朝日新聞社)では、
”阿波丸が金銀財宝を積んでいたという情報の出所の一つは、BC級戦犯を
対象とした横浜裁判の弁護側調査官だった日系二世のフクミツ・ミノル(福光
実)”として、情報を記している。

 
世の中・・・いろいろなトレジャーハンターがいるものですね。




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kage
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