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九重親方・元千代の富士・波瀾(はらん)万丈の人生に幕。 [国際情勢]

横綱は巨漢・・・というそれまでの相撲界のを覆したしのたが、小兵の『千代の富士』だったのです。


先日も還暦土俵入りで元気だと思っていたのですが・・・何とも残念な死去ですが・・・この方・・・不幸の連続・・・その壮絶な人生を送っていた苦労人だったのです。


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千代の富士.jpg



◆千代の富士永眠


横綱千代の富士はケガとの闘いを乗り越え、史上初の通算1000勝、31度の優勝を達成した。度重なる肩の脱臼などにも弱音をはかなかった。わが道を貫き、角界をけん引してきた、そんな小さな大横綱も、病にはかなわなかった。


午後5時11分、家族全員にみとられて逝った。遺体を乗せた車に、久美子夫人と長男剛さんが同乗。


都内の病院から、午後8時12分に東京・墨田区の九重部屋に到着した。キャスター付きベッドに乗せられ、佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが寄り添った。力士らは師匠の遺体に触れ「ありがとうございました」と涙を流しながら言葉をかけた。


九重親方は昨年5月末に両国国技館で還暦土俵入りを披露。その後、膵臓がんが見つかり、手術を受けた。


「早期発見で良かった」と喜び、以後は1滴もアルコールを口にしなかった。しかし、最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。


70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。


小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し「小さな大横綱」と称された。角界のプリンスと人気を博した大関貴ノ花に代わるように看板力士となり、筋肉質の体で北の湖らと一時代を築いた。身長183センチ、125キロ前後の細身ながら、スピード、引き締まった体、眼光の鋭さなどで老若男女を魅了した。


91年夏場所。初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目に貴闘力に屈し現役を引退。「体力の限界…」と涙する姿は感動を呼んだ。92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育てた。


協会内では日本相撲協会理事として事業部長や審判部長などを務めた。しかし、14年の理事候補選に落選。今年1月の理事選も出馬の意向を持っていたが、票がまとまらず断念した。夢に描いていた第2の千代の富士育成に心血を注ぐ-。そう心機一転した直後に待っていた人生の最期。


波瀾(はらん)万丈の人生に、幕を下ろした。




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◆膵臓(すいぞう)がん 


膵臓にできる悪性腫瘍。早期の場合はほとんどが症状に表れず、早期発見が難しい病気。多くが進行している状態で発見されて、手術不可能な状態で見つかることも多い。


手術したとしても、3年以内に再発する可能性が高く、5年生存率(5年間がんが再発しなければ完治したと言われている)は10~20%とされている。



◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士


本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。


70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝は史上2位。優勝31回は同3位。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝をマーク。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。三賞7度。金星3個。91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄「九重」を襲名して部屋継承。家族は夫人と1男2女。

◆葬儀日程


▼通夜 6日午後6時から、東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋

▼葬儀・告別式 7日午後0時半から、同所

▼喪主 妻久美子(くみこ)さん



◆度重なる不幸と戦った千代の富士


1989年6月には、同年2月に誕生したばかりの三女をSIDS(乳幼児突然死症候群)で生後僅か4か月足らずで亡くす不幸に見舞われてしまう。


千代の富士の家族や自身も精神的なショックが大きく、師匠の九重でさえも「もう相撲は取れないのではないか」と思われる程だったという。


1987年前半はわずかに崩れたことで千代の富士時代は終わりに近づいたとの声が高まり、「次の時代を担う力士は誰か」というアンケートまで実施された。


しかしその声を打ち消すかのように、1988年5月場所7日目から11月場所14日目まで53連勝を記録するなど、他を寄せ付けない強さで1980年代後半から平成初期にかけての「千代の富士時代」を築き上げた。


53連勝で止まった1988年11月場所千秋楽(対大乃国戦)が奇しくも昭和最後の取組となる。53連勝は昭和以降の記録としては2014年1月場所現在、双葉山(69連勝)、白鵬(63連勝)に次いで歴代3位。

1989年1月場所も優勝候補筆頭だったが、前場所に連勝記録が途切れて緊張感がなくなったか雑な相撲が目立ち、8日目に寺尾に敗れて以降は優勝争いから後退、11勝4敗に終わる。


4年4ヶ月ぶりに西正横綱として登場した同年3月場所は初日から他を寄せ付けない強さで、14日目に大乃国を破って優勝を決めたが、この一番で左肩を再び脱臼したことで千秋楽が不戦敗となり、表彰式では左肩にテーピングを巻いて登場、右手のみで賜杯を手にした。


しかしその直後の7月場所は首に数珠を掛けて場所入りし、12勝3敗の成績ながらも千秋楽の優勝決定戦では、奇しくも同部屋の弟弟子だった横綱北勝海を下して、奇跡の優勝を果たした。


同年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し、同年9月28日に大相撲で初となる「国民栄誉賞」の受賞が決定した。この日は先代九重(千代の山)の13回忌が行われた日でもあり、千代の富士は「苦労をかけた師匠に良い報告ができます」と言った。協会は一代年寄「千代の富士」を満場一致で承認するが、本人は九重とも相談のうえで辞退している。




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