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東京五輪の式典でも外された在日? 野村萬斎は能出身で大衆向きではない? [日本の習慣]



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野村萬斎と山崎貴、東京五輪の式典コンセプトを

「鎮魂と再生の精神を生かす」・・・とそのテーマが見えてきた

のです。

但し、野村萬斎氏は『武士の能出身』であり、大衆相手に

するには失敗・・・大衆芸能の『歌舞伎界』から選出する

のが適切だったと言えるのです。

しかし・・・オールウェイズ3丁目の夕日の山崎氏

選出されたことから野村萬斎氏による減点はカバー出来る

と見込んでいます。

ここでも日本人と在日との闘いを感じ取ったのですが

考えすぎでしょうか・・・制服や韓国帽子等を次々に撤回して

いる小池都知事・・・。


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心配は、ソフトバンクの『ほぼ・・・いい加減な』日本を馬鹿にした

TVコマーシャル連発の佐々木宏氏がパラリンピックのエグゼクティブ

・クリエイティブ・ディレクターに就任したことです。

まあ在日・電通との駆け引きから佐々木氏をパラに残したとも言える

選出でした。



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◆野村萬斎と山崎貴、東京五輪の式典コンセプト語る



東京2020年大会開会式・閉会式に関する記者会見

の様子。左から山崎貴、野村萬斎、佐々木宏。

2020年に開催される東京オリンピック・パラリン

ピックの開会式・閉会式に関する記者会見が、本日

7月31日に東京都内で行われた。

会見には、開閉会式のチーフ・エグゼクティブ・クリ

エイティブ・ディレクターに就任した野村萬斎、オリ

ンピックのエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレ

クターに就任した山崎貴、パラリンピックのエグゼクティブ

・クリエイティブ・ディレクターに就任した佐々木宏、東京

2020組織委員会チーフ・セレモニー・オフィサーの中井元が

登壇。冒頭で萬斎は「大役に非常に身の引き締まる思い。

シンプルかつ“和の精神”に富んだ式典になるよう全力を尽く

したい」と、山崎は「あと2年ということで、日本らしく

素晴らしい開閉会式ができるといいなと考えています」

とコメントした。

式典のコンセプトについて「“鎮魂と再生”というの

能や狂言という我々の芸能の重要な部分。その精神を復興

五輪にも生かすことは、非常に意味があるとチームの皆さん

に賛同いただいております。何より上質な日本の精神にのっ

とったものにしたい」と展望を語る萬斎。どのような演出に

するのか尋ねられると、萬斎は「百聞は一見にしかず、なる

べく観てわかるものにしたい。また、伝統的な発想がありな

がら、現代に生きる人々の印象に残るようなテクノロジー

を含めて盛り上げていきたい」と意気込みを述べ、山崎は

萬斎さんに話していただいたコンセプトは、どんな意味にも捉え

られるし、掘れば掘るほど深まっていくと思います。面白いもの

ができるんじゃないかなと」と続けた。

オリンピック・パラリンピックの開閉会式という4つの

式典が連続性を持って実施されることについて、萬斎は

「式典を4話完結とするなら、パラリンピックの閉会式

が結びになるわけです。その結び方が未来へ発信する

大きなポイントになる」と言及。山崎は「4式典を振

り返ったときに、東京はパラリンピックを大事にして

いるな、という感覚が残ることが1つのメッセージに


なるのではないかと。それが日本の基本姿勢として

広がっていけばと思います」と期待を寄せた










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◆能の歴史と源流

 
およそ650年前の能は、京都・奈良に多数存在した

大和猿楽と呼ばれた 演劇集団の一つに過ぎませんでした。

中でも、観阿弥清次(かんあみ)・世阿弥元清親子(ぜあみ)の

率いる結崎座( ゆうさきざ)を始めとする興福寺支配の四座

(円満井・坂戸・外山・結崎)があ り、寺社などの法会の際に舞を

舞い聴衆の人気を集め、都でも評判になっていま した。

その噂を聞きつけた時の為政者足利義満

この義満が結崎座の芝居を見物に行っ たことが、

能の運命を大きく変えたのです。

大したことはない、とお思いになるかもしれませんが、

これは現代においては天皇陛下が、渋谷ジャンジャンに

お忍びで芝居を見に行かれるよりも大事件だった んです!

そして義満がその時掛かっていた「嵯峨者狂」(さがものぐるい)

を見て、父観阿弥の演出能力と、当時鬼夜叉と呼ばれた16歳の

世阿弥の美貌に惚れ込み、パ トロンとして結崎座を一気に

メジャーに引き上げました。

男の子に魅せられる、同性愛?なんてうるさいことはなく、

上流階級は綺麗なも のは何でも好きだったのです。

義満は、すぐに鬼夜叉を同胞衆に引き上げ、寵愛します。

藤原の長者二条良基から藤の字を送られ「藤若」と改名もします。

鬼夜叉、のちの世阿弥はこの幸運に溺れることなく、猿楽に貴族

的教養を組み入 れ、大衆芸能から幽玄芸術へと大成させていくのです。










◆武士の舞となった能


時は足利氏の全盛から、織田・豊臣の時代を経て、徳川家

支配と移ろいますが、 能は武家専用の芸能と

してさらに厚遇を得ていきます。

その一方で、大衆演劇の 空白を埋めるために、庶民の間では、

歌舞伎が育っていきます。

三代将軍家光の時に、能にとってその特殊性の根本となる、

ある事が定められます。「参勤交代」の制度です。

 現代の日本において、私たちは「日本語」という共通語を

持ち、初対面の人とで も会話が成立しますが、当時の日本

には、地方の方言以外、「共通語」は無かっ たのです。

 初めて江戸に登ってきた大名達は会話が思うにいかず困り

果ててしまいました。 その打開策として、当時武士が愛好し

て寵愛してきた能の詞章の部分、いわゆる 謡曲を全員が学

ぶことによって、その発声・発音・語意を使って共通語と

する、 という事が定められたのです。

能は武士が、正しい発音、豊かな声量、優雅で荘重な身の

こなしを身につけるための教科書=「支配者の芸能」として

発達します。

そして「武家式楽」として、 文章・演出などの勝手な

変更を禁じられました。

このようにして、能は「進化を禁じられた演劇」と

なったのです。

そしてまた能は「見て楽しむ」芸能から、武士・支配者階級が

「自らが演じて楽 しむ」芸能となったのです。

そのため、能は素人である将軍・大名が、少しの

努力で、端正で正確で迫力のあ る美しい舞台を表現

できるよう、よりシンプルに、規格的で、安全で無駄

を省い た、洗練されたものへと歩み始めていきます。


このように歌舞伎にはかなわない能出身の野村萬斎氏なのです

山崎氏に期待しましょうというのはそういう意味であり、選定した人も

同様のことを考えているは筈なのです。


織田信長ー人間五十年 舞い
https://www.youtube.com/watch?v=vnMeX1NA2LE





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kage
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