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関東大震災から始まった超高層ビル建設と日本の耐震技術? [日本の習慣]

日本で最初の超高層ビル・霞ヶ関ビルディングですが、地震の多い日本では建築基準法等で認められていなかった高層ビルなのですが、東大教授のヒョンな疑問からこ超高層ビルの幕開けがはじまったのです。


【霞ヶ関ビル公式サイト】
http://www.kasumigaseki36.com/




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◆関東大震災に耐えた建物

寺.jpg


武藤清東大名誉教授は、若かりし頃東大の学生時代)、関東大震災を体験しまた。

天皇の料理番でもありました関東大震災・・・崩壊と焼け野原となった東京で武藤教授は、凛として立ちつくす、1839年に建設された上野・寛永寺の五重塔を見て衝撃を受けたのです。

何故っ? やっぱり頭の良い人は目の付け所が違いますね。 そして研究をしたのです。何故、倒壊しなかったのかを・・・。



◆一本の柱に注目


武藤教授は、柔構造を上野・寛永寺の五重塔から学んだのです。

硬いばかりが当り前の業界で逆転の発想ですね。地震と共に揺れる建物・・・更に当時は、ビル等には使用されたことの無い『H型鋼(レールを想像してください。)が強度・捩れに強いことから採用されたのです。




◆それを映画化したのが『超高層のあけぼの』


剛構造に取って代わる新理論「柔構造」方式を採用した霞が関ビルは、太い鉄骨の柱と梁(はり)だけでビル全体の重さを支え、風や地震による揺れに耐えられる建物だった。

しかし、高さ一〇〇メートルを超える、これまで誰も経験したことがない高さにある現場での建設工事は、空前の難工事となった。高所では一層強く吹きすさぶ強風。幅わずか三〇センチの足場。道を歩く人々が豆粒のように見えた。落ちたらまず無事ではすまない、命懸けの現場だった。
その難工事に挑んだのは、情熱の技術者・二(に)階(かい)盛(せい)。若者たちが続いた。六〇名の鳶たち、鉄骨やエレベーター、外壁をつくるメーカーの人々。素材や工事法の研究開発と工事が同時並行で進む、最先端の現場になった。

うまく建てられるか。無事故で完成できるか。不安と不眠と胃の痛みに耐えて、誰もが限界ギリギリまで働いた。建設途中の霞が関ビルを、地震が襲った。恋人たちが駆けつけた。
 これは、地震国・日本に初めての超高層ビルを築き上げた、不屈の男たちのドラマである。


ビル.jpg



◆まだ50年の歴史しかない超高層ビル

霞ヶ関ビルの成功以来・・・新宿・淀橋貯水池跡等が次々と超高層用に開発されたが、あの揺れを吸収してしまう・・・耐震では無く免震構造というビルまで出現してきている昨今であります。

全ての始まりは、武藤教授の寛永寺の五重塔を見ての素朴な疑問から始まっているのです。
ゲームの攻略も良いけど・・・武藤教授のような世の中に役立つ疑問と研究を続ける教育機関の拡充が日本には必要だと言えますね

頭脳流出で優秀な人材は、皆、海外の研究機関に流れてしまいます。

【鹿島紀行】
http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2005/kajimakiko/kiko.htm

超高層.jpg

このビルもそうですが、実際も建設に携わったのは、大学出の技術者では無く・・・そこいら辺を酔っ払って歩いているような建設労働者のおじさん達なんですよね・・・世の中・・・難しいですね。



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kage
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