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邪馬台国・徳島・阿波説に多くの証拠があるのに・・・? [歴史]



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◆邪馬台国も実は徳島だった


魏志倭人伝に記載されている邪馬台国への行程という記述があり、

九州説・畿内説といろいろありますが、その中で「途中で水銀を産出

する場所がある」という記述があります。


九州や畿内では発見されない場所なんですが・・・

大陸から日本に到着したら・・・豊後水道を南下し・・・四国の陸地

沿に進むと徳島に到着し、その途中に水銀産出の地があり、最終的に

剣山に到達するわけですが、このルートですと魏志倭人伝に記載され

ている行程とピタリと符号するという話なのです。(大くの研究家

は興味を示すものの、歴史を変えるような見解を述べるわけにも行

かず、この説は認知されない宿命の説として甘んじてはいます。)

この他、平家が落ち延びた剣山の麓のイヤ村

なんていうのもありますぞっ・・・。

不思議一杯の徳島県・・・まだまだありますよ・・・因みに千葉の安房

も実は四国の阿波からきているのです。


いろんな説がありますが、本当は『同一地名を全国にばらまき』本家の阿波を

カモフラージュすることが目的なのです。


吉野と言う地名も同様です・・・・本家は徳島の吉野川なのですが


カモフラージュするという事は、それだけ秘密があるとも言えるのです。


淡路島も本来は・・・阿波への道と言う意味での淡路島

なっているわけです。





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◆イサクの燔祭(はんさい)




映画・天地創造のワンシーンで有名なのが下記シーンなのですが、徳島では

石を積み上げた多くの『礼拝所』をイスラエルの駐日対しであったコーエン氏



も認めているのです。


(映画・天地創造のシーン)


ご存知の方も多いシーン、神はアブラハムを試された。神が「アブラハムよ」と

呼びかけ、彼が「はい」と答えると神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤ

地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物として

ささげなさい。」

次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、

二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。

三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えた

ので、アブラハムは若者に言った。

「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそ

こへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」

アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負

わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。

イサクは父アブラハムに「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が「ここ

にいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。

「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいる

のですか。」

アブラハムは答えた。

「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」

二人は一緒に歩いて行った。

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並

べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。

そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、天から主の御使いが「アブラハム、アブラハム」と呼びかけ

た。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。

「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者である

ことが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、

わたしにささげることを惜しまなかった。」

アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の

雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わり

に焼き尽くす献げ物としてささげた。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。

そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と

言っている。(創世記 22章1-14節)

旧約聖書に登場するセム系民族の末裔のアブラハム。アブラハムには

異母兄弟であるイサクとイシュマエルという息子がいて、イサクの子孫

がユダヤ人、イシュマエルの子孫がアラブ人となり、今日の宗教戦争は

元を辿ればアブラハムの末裔同士の兄弟喧嘩となっています。

それはさておき、アブラハムが息子イサクを生贄として神に捧げる

「イサクの燔祭」に「モリヤ(山)と呼ばれる場所が出て来ます。





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◆阿波踊りはユダヤの神に捧げる歓喜の舞にそっくり


あの阿波踊り・・・頭の前で手をヒラヒラ・・・この踊りも実に不思議

なのですが、ユダヤの痕跡を多々残す徳島・・・駐日イスラエル大使だっ

たコーエン氏もそれを認めて真剣に調査した人であります。

この阿波踊がユダヤの歓喜の舞という説・・・これもユダヤ人である駐日

イスラエル大使のコーエン氏も認めていることなんです。



ユダヤの風習は四国・徳島・剣山から全国に広かったと考えるのが自然ですね?


学会のタブーとなっていますが・・・。


古事記もヘブライ語で書かれており。。。未だ60%位しか解読

されて以内と言うのも何とも不思議ですね?




kage

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