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桃田選手も知らないバトミントンや卓球がアジアで繁栄した理由? [歴史]

【今回の記事要点】


アジア大会が始まりますが、バトミントンや卓球が強いアジア各国

ですが、その要因をご存知だろうか?

植民地統治の一環として帝国陸軍が『コストが安くて誰でも出来る』

競技として選んだのがバトミントンと卓球だったのです。

その安くて出来るスポーツ・・・ですからインドネシアやマレーシア

が強いバトミントンなのです。

日本人が余り興味を示さなかった競技ですが桃田選手の

金メダルに期待しましょう。





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◆明かされないバトミントン繁栄の理由


起源は英国というのは良く出てきますがインドネシア・マレーシアでの

国技となった背景はみなダンマリです。

そりゃそうですよね・・・帝国陸軍が植民地統治の目的で

広めた等と言う小生のような真実は好ましくないので

しょうからね?


参考-YAHOO知恵袋様

文献的に インドネシアやマーレーシアで 国技になって

いる と紹介されても その時代背景や推移の歴史を 記述した

文献には目を通した記憶がありません推測の域ですが

歴史的に 大英帝国の植民地であった バドミントンは

英国発祥の競技植民地政策の一環として スポーツを取り

入れた 地勢的に中華系の架橋の存在があり 食文化としての

アヒルや鴨が 養畜として存在した その為にシャトルの材料

には 事足りたなどの条件が揃ったのが理由と考えます

あとは 暗い歴史の中に 白い羽を追いかけて 光明を見出

していたのかも、これは 私の個人的な主見です。





◆バトミントンの普及


当然、日本政府の意向もあったのですが、ラジオ体操と

同様にアジア全域に広って行ったのです。

インドネシアでは世界的に通用する唯一のスポーツがバトミントン

であり、国技を超え、インドネシア人の魂に呼びかけるスポーツ

として成長したのです。

桃田選手も・・・このインドネシア国民対策が鍵でしょうね?




◆中国に卓球を教えた日本人


荻村伊智朗ーコトバンク様
https://kotobank.jp/word/荻村伊智朗-39954


卓球選手。第2次世界大戦後の「卓球日本」を築いた,ロング

ドライブの名手。日本大学卒業。1954年ロンドンでの第21回

世界選手権大会で団体とシングルスに優勝して以来,各種目合

わせて 12回の優勝を遂げた。

日本選手権大会優勝 11回。引退後は卓球の世界普及に努め,

1971年名古屋での世界選手権大会で中国を国際舞台に復帰

(→ピンポン外交)させることに貢献,1991年千葉での

世界選手権大会では大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の

統一チームを結成させることに尽力した。1987年国際卓球

54年、主将として出場したロンドンの世界選手権で男子シング

ルスと団体に優勝したのをはじめ、12の世界タイトルを獲得。

引退後、71年の世界選手権の前年に訪中、米中国交正常化に

つながる「ピンポン外交」をおぜん立てした。87年に国際卓球

連盟会長に就くと、韓国、北朝鮮と協議を重ね、91年の世界選手

権で南北統一チーム
「コリア」を実現。94年12月に62歳で亡くなった。




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kage
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