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地震調査委員会の北海道地震予知は的中したが断層が違うと・・・?   [歴史]

北海道地震の余震は全く衰えを見せていません。
熊本の時より酷いかもしれませんね?
下記、YAHOO天気様をご参照ください。



胆振の余震ーyahoo様
https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/list/?e=146


胆振(いぶり)お内地の人間がピント来ない地名ですが
わかりやすく言うと主たる都市は室蘭です。
でもみんな室蘭の名前は出さないのです。



北海道に被害を及ぼした主な地震  
https://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/hokkaido/p01_chubu.htm#kakojishin


今回の地震は政府が警告していた地震ですが歴史的には珍しい
地震であり、これを見抜いた政府といえるのです、


予知は出来ないと逃げている政府ですが、地齋は予知出来て
いたということなのです、



◆政府の地震調査委員会が北海道地震を予知していた


北海道の太平洋側に延びる千島海溝でマグニチュード
(M)9級の巨大地震を初めて想定する新たな長期評価を公表
した。
発生が切迫している可能性が高く、20メートル以上の大津波
が起きる恐れがあり、防災への取り組みを求めている。


北海道で"超巨大地震"の可能性
https://www.youtube.com/watch?v=HaBn3lY5-do


今後も地震調査委員会の発表には厳重注意ですね?





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◆地震地震調査委員会の北海道地震に対する疑問


政府の地震調査委員会は6日に発生した北海道胆振東部地震に
ついて、発生現場の近くにある活断層で発生したものではない
との見方を明らかにしました。


断層外での画策された人工地震

指摘している断層で今後起きる可能性が大きい



地震調査委員会は6日に臨時の会合を開き、最大震度7を観測した
今回の地震は、東北東から西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型と
分析しました。


一方、30年以内の地震発生率がやや高い活断層である「石狩低地
東縁断層帯」との関連については地震の発生現場の近くにあるも
のの、震源の深さが37キロあることから、この活断層よりも深い
別の場所で発生した地震と考えられるとの見方を示しました。
地震調査委員会は、揺れの大きかった地域では地震発生から1週間程
度は最大震度7程度の地震に注意が必要だとしています。


以前にどう委員会は下記のような予知・見解を発表して
いたのです。


◆千島海溝では陸側のプレート



地震調査委は東日本大震災を受け、北海道東部の十勝沖から
北方領土の色丹・択捉島沖にかけての活動を13年ぶりに再
評価した。



千島.png



沿岸の津波堆積物などの調査結果から、最大規模の地震
は少なくともM8・8程度に達すると判断。発生間隔は
平均340〜380年で、既に前回から約400年が経過
しており「切迫性が高い」と評価し、今後30年以内の発生
確率を最大40%と算出した。


平田直委員長は「極めて高い確率だ。東日本大震災のような

地震が千島海溝でも起きる可能性と警戒を呼び掛けた。

震源域は十勝沖から根室沖にかけての300キロ以上に及ぶ。


北海道東部は南海トラフ地震が起きる西日本などと比べ
歴史記録に乏しい。
このため沿岸の沼や湿原の掘削試料から、過去の津波で運ばれた

土砂を検証。過去6500年間に18回の津波が襲い、17世紀
には最大で約4キロ内陸まで浸水したと分析し、地震の最大規模

や発生間を推定した。


一方、十勝沖の大地震は従来のM8・1から最大8・6に引き上げ、
30年以内の発生確率は7%と評価。根室沖は従来のM7・9から
最大M8・5とし、確率は70%程度とした。

陸からみて海溝の外側で起き、大きな津波が生じやすい「
アウターライズ地震」も初めて評価し、規模をM8・2前後と想定。
確率は不明とした。





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◆胆振地方の由来・メイン都市は室蘭市(角川地名辞典様)


胆振国(いぶりのくに): 明治2年からの国名。
明治2年国郡制設定により成立した11か国の1つ。国名は、
「日本書紀」の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振?(いぶりさえ)その
他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名。


北海道の西部に位置し、南は太平洋に面して、北は後志(しりべ
し)国・石狩国に接する。虻田(あぶた)・有珠(うす)・室蘭・幌別
・白老・勇払(ゆうふつ)・千歳の7郡を置いた。明治2年開拓使
の管轄となり、同年から同4年の間は大泉藩・高知藩などの分
領支配が行われた。同5年から開拓使札幌本庁の管轄となる。


当初胆振国の中心は勇払であったが、明治5年室蘭港が開港、
翌6年札幌~室蘭間の国道が開通、札幌―苫小牧―室蘭―森―
函館が道内主要幹線となり、中心は室蘭に移っていった。


同12年虻田・有珠・室蘭・幌別郡は室蘭外三郡役所に、白老
・勇払・千歳郡は勇払外五郡役所に属した。同15年開拓使が廃
止され、札幌県に所属。同19年県が廃され北海道庁設置。


白老・勇払・千歳郡は同20年日高国の3郡と分かれて勇
払外二郡役所の所轄となり、同22年室蘭外五郡役所に統
合された。同30年には郡役所が廃止され、支庁制が施かれて
千歳郡は札幌支庁、ほかは室蘭支庁の所轄となり、国郡制は
実質的な行政区画上の役割を失った。

  



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kage


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