真珠湾攻撃・日本の最後通告を隠した米国の欺瞞? [スポーツ]
真珠湾攻撃・日本の最後通告を隠した米国の欺瞞?
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【今回の記事要点】
真珠湾攻撃は日本の卑怯な闇討ち・・・と言われていますが、
事前通告は正しく通告されており、米国側が意図的に隠ぺいしたという
証拠が見つかったのです。
真珠湾攻撃については第三次攻撃を行わなかった日本・山本五十六
と米国は繋がっていたのではないかとすら言われており、
米国に決定的ダメージを与える第三次攻撃の中止は明らかに
異常なのです。
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◆真珠湾攻撃に関する米国公文書館資料
アメリカは、日本大使館の最後通告が真珠湾攻撃
の後になったことを「国際法違反だ」とし、世論を戦争
に向けるために大いに利用しました。
当時、それは「卑怯なジャップのだまし討ち」として
国内に喧伝され、国民は「リメンバーパールハーバー」に
簡単に同調しました。
戦後、「大使館の怠慢と無能のためのミスで通告が
遅れた」という説が出て、今日それがほぼ既成事実化―アメリカ
でも一応―されています。
しかし、もし通告の遅れが意図的であったことがこれら
の資料によって証明されるのなら、資料を持っているアメリカ
はなぜそれを今までしなかったのでしょうか。
「日本の先制攻撃はやはり国家的に仕組まれたものであった」
これを証明することは当初の主張が正しかったことを
裏付けることになり、やれない理由もまた考えられないの
ですが、それをアメリカはしようともしなかった。
考えられる理由は2つ。
1、とにもかくにも通告が遅れたことは事実で
あるから、その理由などはどうでもよかった
2、通告の遅れは日本が意図したものではなかった
ことを傍受によって知っていたから
おそらくこのどちらもが正解で、さらにはもう一つ重大
な理由があるとわたしは思います。
米国は日本との開戦を望んでいたのです・・・仕組まれた
戦争と言うことです。
◆自衛戦争は宣戦布告をしなくても国際法には触れない (賢者様)
政府・大本営に事前通告をする予定はもともとなかった
らしいのですが・・・。
参謀本部の「機密戦争日誌」を見ると、昭和16年11月27日
大本営政府連絡会議は開戦の翌日に宣戦を布告すると決定して
いる。
なぜか。
自衛戦争は宣戦布告をしなくても国際法には触れない・・・と言う
ことが挙げられると思います。
東郷外相の頭の中に、自衛戦争は宣戦布告をしなくてもハーグ
条約違反にならないという考え方があった。
アメリカも対メキシコ戦争(1916年)に、自衛戦争という
理由で宣戦布告をせずに開戦している。
1939年ドイツがポーランドに侵入して第二次大戦が始まるが、
この時フランスも宣戦布告なしに対独戦を開始している。
東郷外相には、事前通告をする予定はなかった。
ところが、野村駐米大使から開戦手続きをきちんとしておきたいと
いう要請が来たり、御前会議の後12月2日に東條首相が天皇から
開戦手続きはきちんとやるようにと言われたりして、それならばと
東郷も考え直したのである。
国際上の厳密な議論をすれば、無通告でも「騙し討ち」ではないと
言うことはできるし、あの文面で十分に開戦通告になっていたと
いう議論も可能。
真珠湾攻撃の真実? 国際法上は不要な最後通告を奇襲と呼ぶ米国の思惑!
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2016-08-10-4
NHKスペシャル~原爆・スパイ戦の真実~真珠湾攻撃を画策したスパイ達の深層?http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2015-10-29-5
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◆「真珠湾」通告遅れは意図的か対米開戦に新説(西日本新聞様)
九大教授・三輪教授が米国公文書館で入手した米軍資料。
訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている。
太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館
の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を
遅らせたことが原因とする説が浮上している。
旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。
覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の
午後2時20分だった。この遅れが、米国から「だまし討ち」
と批判される原因とな
その対応に苦慮していたのです・・・しかし、真珠湾攻撃開始前
に宣戦布告がなされていたかどうかは法的には全く抵触しないの
です。
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kage
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